ぎりぎりのブレーキングを極めたドライバー、ジル・ヴィルヌーヴ

2016/06/21

 フェラーリの伝説のドライバーがブレンボ製ブレーキを最大限に駆使して名バトルを繰り広げた1979年フランスGPと1981年モナコGP

​​世界タイトルを一度も手にすることはなかったもののF1界のレジェンドとして今もなお慕われる名ドライバー、ジル・ヴィルヌーヴ。ブレンボ製ブレーキシステムを搭載したフェラーリを駆って記憶に残る走りを数多く披露し、その名を世界に知らしめました。

ジル・ヴィルヌーヴについて、エンツォ・フェラーリはよくこのように話していました。「シャフトもギアボックスも、クラッチもブレーキも、力にものを言わせてことごとく壊してくれるおかげで、まさかの時にドライバーの身を守れるマシンには何か必要かヒントをくれたよ。」


 

 

 

ブレンボで最年長の技術者は、ヴィルヌーヴのブレーキングについて「急激でアグレッシブな使い方に徹していた」と振り返ります。つねに限界まで迫る彼独特のドライビングスタイルには、母国カナダでのスノーモービルの競技経験が生きています。彼が繰り広げた数々のバトルで特に有名なのが、1979年フランスGPでの、ルネ・アルヌーとのデッドヒートです。残り2ラップの序盤、Villeroyコーナーでヴィルヌーヴはブレーキングをぎりぎりまで遅らせ、ライバルのアルヌーをかわしました。ヴィルヌーヴのフェラーリ312T3は左のフロントタイヤがロックしましたが、ヴィルヌーヴはマシンをなんとかコース上にとどめました。

次のラップでアルヌーはヴィルヌーヴのようにブレーキを遅らせる戦略に出ます。それでもヴィルヌーヴはブレーキをさらに限界までこらえ、アウト側でアルヌーの前をキープしていました。数メートル後にぴったりとつけたアルヌーがついにヴィルヌーヴをかわしましたが、ヴィルヌーヴは決してあきらめず、Parabolicコーナーでまたしてもぎりぎりのスリリングなブレーキングでアルヌーに食らいつき、インをついて再び前に出ました。

こうした激しい攻防を最終的に制したヴィルヌーヴが2位でフィニッシュ。このときの1位は、アルヌーのチームメイト、ジャブイーユのルノーです。F1史に残るこの名バトル、ブレンボのブレーキディスクにとっても底力を発揮した大一番でした。

 
 

 

その2年後、ヴィルヌーヴがまたもや世界中を沸かせたのがモナコGPでした。フェラーリ初のターボエンジン搭載マシン、126CKのエンジンターボラグを補うために、ヴィルヌーヴは左足のブレーキ技を考案しました。

このときブレンボが導入したブレーキキャリパーの新たなコンセプトも一部分影響して、ヴィルヌーヴは、ウィリアムズのアラン・ジョーンズに40秒もの大差をつけて優勝。


 

 同様のブレーキ技で、続くハラマでのスペインGPも制しました。しかし、翌1982年の5月8日、ベルギーGPの予選で起きた事故が、この生粋の天才ドライバーの命をレース界から奪い去りました。

ヴィルヌーヴを息子のように大切にしてきたエンツォ・フェラーリにとって、そしてヴィルヌーヴを今も慕い続けるフェラーリファンにとって、ヴィルヌーヴを失った悲しみの大きさは計り知れません。

カナダGPの開催地であるモントリオールのサーキット・イル・ノートルダムは、ヴィルヌーヴを称えて、その名をジル・ヴィルヌーヴ・サーキットと改めました。

ブレンボの技術者の間で「ブレーキ・スクランブラー」の異名をとったヴィルヌーヴ。

しかし、67回出走したGPのうち、ブレーキトラブルによるリタイアは1度もありません。

ヴィルヌーヴは1977年イギリスGPのマクラーレンでのデビュー戦を除いて、自身のレースキャリアでブレンボのブレーキをずっと使い続けてきましたが、その仕上がりはいつも彼ならではの過激な使い方に十分応えるものだったのです。

 

 

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