ブレンボ製ブレーキを搭載したシングルシーターによるGP初優勝です。ラウダが初のドライバーズタイトルを獲得し、フェラーリが約10年間逃していたコンストラクターズタイトルを獲得し、ブレンボがモータースポーツで初の世界タイトルを獲得するレースがその勝利から始まるとは、想像もつきませんでした。長いシリーズのはじまりです。
時代の幕開けを告げる歴史的勝利
モナコ公国の狭く曲がりくねった道が、モータースポーツの歴史に忘れがたい瞬間を刻む舞台となりました。その日、フェラーリ312Tを駆ったニキ・ラウダがポールポジションを獲得し、モナコグランプリでの優勝をつかみ取りました。この勝利はラウダとスクーデリア・フェラーリにとって重要であっただけでなく、フォーミュラ1における新たな技術イノベーターの転換点になりました。ブレンボです。
フォーミュラ1にデビューしてからわずか4カ月後、ブレンボはブレーキ技術をラウダのフェラーリに搭載して、グランプリ初勝利を達成します。ブレンボは1975年にフォーミュラ1に参加し、スクーデリア・フェラーリに鋳鉄ブレーキディスクを少量供給しました。ほんの一瞬の成功に思えたことが、実は高性能モータースポーツ・ブレーキシステムに革命を起こすのです。
フェラーリ待望の勝利とブレンボのゲームチェンジャー
これは、1955年以来モナコGPでの勝利がなかったスクーデリア・フェラーリにとって、歴史的な勝利となりました。伝説のイタリア籍チームは、フォーミュラ1での覇権を取り戻すべく努力を続けており、このスポーツでも特に挑戦となる名高いサーキットでの勝利は重要なマイルストーンです。
ブレンボにとって、この快挙はさらに並外れたものでした。フォーミュラ1の世界への参入は大胆な一歩でしたが、この企業はすぐに最高レベルで戦えることを証明していたのです。ラウダはブレンボ製ブレーキを巧みに使いこなし、オーバーテイクが必要なときには積極的にブレーキをかけ、リードしているときには慎重にシステムを管理しました。フェラーリが圧倒的な強さを発揮したシーズンにおいて、彼のブレーキシステムの巧みなハンドリングは重要な役割を果たしました。
ブレンボのディスクの耐久性と効果は、抜群のフェラーリ312Tとの相乗効果により、シーズンを勝利で飾りました。フェラーリはグランプリ14戦中9回ポールポジションにつき、11回表彰台に立ち、6回の優勝を飾り、コンストラクターズとドライバーズの両方でタイトル獲得を確かなものにしました。
伝説の歩みの始まり
この勝利が歴史的シーズンの起爆剤になるとは、当時は誰も予想できませんでした。ニキ・ラウダはこの年、初のフォーミュラ1世界タイトルを獲得し、偉大なF1ドライバーの仲間入りを果たしました。10年近くコンストラクターズ選手権から遠ざかっていたフェラーリが、モータースポーツの頂点に返り咲いたのです。
1964年以来チャンピオンを獲得していなかったフェラーリが栄光に返り咲いたことで、ブレンボはエンツォ・フェラーリから信頼を得るようになり、この時からエンツォ・フェラーリは常にブレンボのブレーキに頼るようになります。1976年、ラウダがニュルブルクリンクでクラッシュしたために、連続優勝は僅差でかないませんでしたが、それも1977年まで延びたにすぎません。
この10年間は、フェラーリがジョディ・シェクターの活躍によって3度目のドライバーズタイトルを、才能あるジル・ヴィルヌーヴの尽力によって4度目のコンストラクターズタイトルを獲得し、幕を閉じました。
ブレンボにとって、これは後に伝説となる歩みの第一歩でした。1975年のモナコGPは、レースにおける卓越性の時代の幕開けとなり、高性能ブレーキ技術におけるブレンボの優位性の基礎が築かれました。今日、ブレンボの名は、モータースポーツにおけるイノベーション、精度、性能の代名詞であり、無数のチャンピオンやチームを勝利に導いてきました。
モナコでの最初の勝利から今日に至るまで、ブレンボの卓越性への取り組みが揺らいだことは決してありません。1975年に始まったこの歩みは続いており、フォーミュラ1、またそれ以降のブレーキ技術の未来を形作っています。