これは彼らの物語です
ルイス・ハミルトンがフェラーリに移籍して以来、彼のファンは跳ね馬のホイールで初勝利を挙げることを熱望してきました。シーズンの始まりはそれほど順調ではありませんでした。7度のワールドチャンピオンであるハミルトンが中国でスプリント優勝を決めたとはいえ、公式記録ではグランプリ勝利にはカウントされないのです。
ハミルトンはすでに105回表彰台に立っており、これはフォーミュラ1の記録に残っています。ハミルトンが表彰台の一番高いところにまた立つのを待つ間に、過去50年間のフェラーリでも特に象徴的な10人のドライバーたちが、跳ね馬のチームで初勝利を飾るまでにどれほどかかったのかを見てみましょう。
1975年にスクーデリア・フェラーリのブレーキディスクサプライヤーとしてフォーミュラ1デビューを飾った、ブレンボのモータースポーツにおける50周年を記念して、ブレンボのブレーキシステムでレースに参加したドライバーに限定して分析を行いました。ただし、アルベルト・アスカリ、ファン・マヌエル・ファンジオ、マイク・ホーソーン、フィル・ヒル、ジョン・サーティース、ジャッキー・イクスといったレジェンドはここに含まれていません。
ミハエル・シューマッハがマラネロにやってきたのは1996年、2度のワールドチャンピオンに輝いていたときでした。しかし、当時のフェラーリにはライバルに対する競争力がまだありませんでした。それにもかかわらず、シューマッハは2戦目のブラジルで早くも表彰台に上り、5戦目のイモラではポールポジションを獲得しました。
フェラーリ在籍での初優勝は、7戦目スペインで、ウェットコンディションの中での勝利でした。滑りやすいトラックでF310を巧みにハンドリングしたシューマッハは、雨の中でその卓越した技術を存分に発揮しました。車にはブレンボ製キャリパーとディスクが採用され、彼の好みに合わせてペダルトラベルは短く、レスポンスの良い状態に調整されていました。
ティレルとウルフで惜しくもタイトルを逃したジョディ・シェクターは、1979年にフェラーリで生涯に一度のチャンスを押えます。312T4での3度目のレースは地元で開催され、2位を獲得しました。フェラーリ在籍での初勝利は、予選では7位だったスパ・フランコルシャンでのことでした。
ライバルのミスや不具合を利用した戦略的なドライブで、54周目にジャック・ラフィットをオーバーテイクしてリードを奪います。ブレンボ製ブレーキディスクを装着したそのフェラーリは圧倒的な強さを見せ、シェクターがチャンピオンに輝いただけでなく、チームメイトも次点でレースを終えました。
ニキ・ラウダはBRMでともに戦ったクレイ・レガツォーニからエンツォ・フェラーリに推薦されました。ラウダのフェラーリ・デビューはギャンブルでしたが、すぐにアルゼンチンでレガツォーニを抑えて2位に入ります。第3ラウンド南アフリカで、ラウダはポールポジションを獲得しましたが、燃料噴射の問題で結果を残せませんでした。
ハラマではその雪辱を果たし、ポールポジションを獲得し、レースに優勝、またファステストラップの記録をつけ、フェラーリ在籍4戦目にして初勝利を飾りました。当時、フェラーリは1975年に登場していたブレンボ製ブレーキをまだ採用していませんでした。
マクラーレンとの決別後、アラン・プロストはナンバープレート1を携えて1990年にフェラーリに移籍しました。チームは冷却とギアボックスを改良した641という優れた車を開発しました。すでに2年間使用されていたブレンボ製モノブロックキャリパーは、ブレーキ技術の最高峰でした。
プロストはそれを活用し、ブラジルグランプリで41周目にオーバーテイクしたかつてのチームメイトに大敗をもたらし、フェラーリ在籍の2戦目にして優勝しました。
セバスチャン・ベッテルはフェラーリでの2戦目で優勝し、プロストに並びます。同点状態に決着をつけるため、初優勝時のリード周回数を比較したところ、プロストが31周でリード、ベッテルが46周をリードしていました。2015年にフェラーリに移籍したベッテルは、モンツァGPの前にブレンボの本部本社を訪れたほどです。
彼のSF15-Tは、1,200個の通気孔を持つブレンボのCER 300カーボンディスクと、アルミリチウムモノブロックキャリパーの中にCCR700換気レーキパッドを使用していました。ベッテルはオーストラリアで3位に入り、マレーシアでは9秒差で優勝を飾りました。
2010年、フェルナンド・アロンソのフェラーリ・デビューはバーレーンで夢のようなスタートを切り、ティフォシの間で大きな興奮が巻き起こりました。アロンソはフェリペ・マッサを抑えてゴールし優勝しました。ポールシッターのベッテルと並んでスタートしたアロンソでしたが、ベッテルの車にトラブルが発生するとすぐに前に出てリードを奪います。
彼のF10は、給油禁止に適応するため、燃料負荷が変化しても安定した性能を発揮できるように改良したブレンボ・ブレーキシステムを採用していました。
ナイジェル・マンセルもまた、1989年のブラジルGPで伝説のゼッケン27に乗り、フェラーリ移籍デビュー戦で優勝しました。彼の640には新登場のセミオートマチック・ギアボックスを搭載していましたが、その信頼性には懸念がありました。
しかし、1988年に登場したブレンボ製モノブロックキャリパーは、信頼できるコンポーネントでした。マンセルは6位から数周で2位まで浮上し、ラップ16で首位に立ちました。タイヤ交換のため一時的にリードを譲ったものの、最終的には約8秒差で優勝を果たしました。
キミ・ライコネンは2007年オーストラリアGPでフェラーリでのデビューレースに優勝しただけでなく、アロンソをコンマ4秒上回りポールポジションを獲得し、さらにファステストラップの記録はどのライバルよりも1秒速いものでした。
彼のF2007は、クラッシュテスト規制強化により車重が重くなりましたが、ブレンボのアルミリチウムモノブロックキャリパーと、100個の換気孔を持つカーボンディスクを採用していました。そのシーズンにライコネンは世界選手権で優勝します。