フォーミュラ1でのBrembo

2016/10/28

 フォ-ミュラ-1で342回の優勝はブレンボの誇りです。

 

        
ブレンボがF1の世界へそっと足を踏み入れたのは今から40年前。鋳鉄ディスクをフェラーリチームに供給したのが始まりでした。こうしてブレンボが世界最高峰のモーターレースにデビューを果たしたその頃、トップ争いの舞台に躍り出ていたのは、あのニキ・ラウダでした。1975年にワールドチャンピオンとなり、フェラーリの地元マラネッロの町は11年ぶりのコンストラクターズチャンピオン獲得に沸いたのです。その年はシリーズ5勝、チームメイトのクレイ・レガッツォーニもモンツァで優勝しています。

ブレンボにとって参戦2年目となる翌年のシリーズでは、引き続きフェラーリに供給して6回の優勝に貢献しました。続く3年間(1977年~1979年)では、ブレンボ製ブレーキを搭載したF1マシンは毎年4勝以上をあげましたが、1980年になるといったん勢いがとぎれます。ブレンボが1度も優勝できなかったシリーズは、F1デビュー以来、たった一度、この年だけです。


 
 


しかし、翌1981年にはブレンボは再び優勝の味を取り戻し、それ以降、逆戻りはありませんでした。1985年はロータスへ供給開始。その頃ロータスは、アイルトン・セナというブライジル人の新星を獲得していました。セナはポルトガルGPでF1初優勝。のちにベルギーGPでも優勝しています。2回の優勝はポルトガルがウェット、ベルギーがドライで全く違うコンディションでしたが、どちらもブレーキシステムはブレンボでした。

1989年には、アイルトン・セナ、そしてマクラーレンMP4/5という最強マシンを操るアラン・プロスト、この2人の大活躍で、ブレンボは、初となるシリーズ2ケタ優勝、すなわち年間10勝以上の好成績をあげました。フェラーリとベネトンに供給したこの年、優勝は14回。以降、勢いはとどまることなく、ついに1994年、ブラジルGPでは、かのミハエル・シューマッハが駆るベネトンで、見事100勝の大台に乗せたのです。


 
 

        
ミハエル・シューマッハがフェラーリに移籍してからもブレンボは彼とタッグを組み続け、2002年にはシリーズ15勝、そして2004年にも15勝を記録しました。この年のハンガリーGPでは、ブレンボはついにF1で200勝。夢の実現への長い道のりは、ここでいったんピークを迎え、2005年には年間わずか1勝という苦境を経験することになりました。

しかし、ブレンボは気合いを入れ直し、以降10年間は、最低でも9勝をあげるシーズンを毎年続けています。2013年にはさらにレベルを上げて、全19戦中18回の優勝に貢献しました。ちなみに阻止した1回はキミ・ライコネンでした。しかしその後、ついにブレンボは頂点へ。2014年、2015年の2年連続で、F1のシリーズ19戦中19レースすべてを、ブレンボ製ブレーキ搭載のマシンが制覇したのです。ドライバー、そしてパートナーたちがもたらしてくれた342回のF1優勝を、ブレンボは心から誇りに思っています。